山田日記

徒然と忘れそうな日々を記録していこうと思います

2013年6月 愛媛県|愛媛県立美術館 庵野秀明特撮博物館

こんにちは。


18周目の検診の時に、性別がわかりました。

男の子でした。

 

男の子ということは、おちんが見えたということなのでしょう。

どちらかの性別にこだわっていたわけではないのですが、男の子として生きてきていないので、この子の成長過程でどんなことが起きるのか、必要なのかが想像がつかないのです。思春期・反抗期一体どのような感じなのでしょうか。

私の時は、小学生の低学年ではシール交換とプロフィール帳、シルバニアに勤しみ、高学年にもなると十二国記あさきゆめみしを経由して兄が読み始めたジャンプを読むようになり、中学生では立派なオタクとなって、高校ではデビューに憧れてセブンティーンを読んでみたもののデビューとは程遠い姿となりつつ楽しく過ごし、大学に進学を という経路を辿ってきたわけですが男の子は一体何にハマりながら大きくなるのでしょう。

ここのあたりはパパの知恵と経験をもとに時代を読んでいくしかないのでしょう。

とりあえず、兜が必要でしょうかね。

祈りたい、平穏で本人が退屈しない人生を。

 

そういえば、男の子ということがわかってから考えたことなのですが、

自分が持っていない臓器(つまりおちん等)を作っているって生物というものは本当に不思議ですごいなとつくづく思ったのでした。

これが生物が進化する上で考え出した進化のプログラム。本当にすごい。

 

2013年6月 愛媛県立美術館

 

下宿先に住んでいた子が特撮やエヴァンゲリオンが好きだったことがあり、愛媛県でやっていた企画展「館長庵野秀明 特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技」を観に行きました。

 

 

ゴジラガメラシリーズは親の影響で小さい頃から観ていたので、特撮技術に改めて感動したことを覚えています。

飴細工を溶かして、光線で溶けたビルを表していたり。本当にすごい。

今ではCGで全部やっちゃうということなので技術の進歩を感じます。それでも昔ながらの特撮の持ち味はまた別で、唯一無二のものを感じます。

最新のゴジラ映画「ゴジラ-1.0」ではCGでもないさらに上の技術が使われているそうですね。アカデミー賞を受賞したときに、ゴジラが金色の蝶ネクタイをつけていてとても可愛かったです。私が小さい頃からずっと世界で愛されていてすごい存在です。

もしかしたら、私のベビーはもっと新しい技術のゴジラを観て育つのかな。そうなると、やはり小さい頃に昔の特撮ゴジラを通っておくべきか。

 

企画展の最後に上映されていた特別ムービーは、ナウシカに出てきた巨神兵が東京に現れるというお話を特撮で撮ったものでした。(ナウシカの世界につながるお話)

なかなか胸に刻まれた作品で、美術館の中で何度も友達と観ました。企画展の中で紹介されていた特撮技術が使われていて、そういう目線でも観れたのが面白かったです。

今でも覚えているということは、やっぱり印象的だったんだな。

 

お土産に巨神兵のガチャをやりました。図録とか買っておけばよかった。

 

人のアクティブさに便乗をしていた (自省)


一緒に行ってくれた友達はとてもアクティブな子です。

下宿始めの時はカップラーメンも作れなかったそうなのですが、農学部でサバイバル術(?)を身につけ、海に行き魚を釣って捌き、ついにはスッポンをも捌けるようになっていました。(YouTubeを見ながらやったらいけたそうだ)

四年間で人はこんなにも成長するのだととても感心しました。

私は、自炊や勉強もそこそこに堕落した生活をしてしまったので、ハテ・何か身につけただろうか とふとした拍子に思ってしまうのでした。

 

そんなアクティブさを表してか、工場長と呼ばれていました。

今思うと、彼女のアクティブさに甘え、便乗して色々なことを体験させてもらったにも関わらず、私は何も返せていなかったな〜、と改めて思います。ギブアンドテイク、今ではそう思うのにどうして20歳そこらの時はできなかったんだろう、やらなかったんだろう。

彼女、本当はとてもモヤモヤしていたんじゃないだろうか。彼女が大人なメンタルだったから私のテイカーを許してくれていたんじゃないだろうか。

 

あの時食べた、オムライスとチーズケーキ。私は奢ってあげたりしたんだろうか。

記憶も朧げで、せめてそのくらいはしていてほしいという願望が正確な記憶を邪魔している気がする。

 

後悔をしても遅いのだけれど、その子のおかげで、エヴァンゲリオンナウシカの漫画版に触れることができました。本当に世界を広げてくれました。

社会人になり、初めて箱根(エヴァの聖地)に行った時にエヴァンゲリオンの絵葉書を買って暑中見舞いとして工場長宛に送りました。手紙であれば、もしも返事が来なくても大丈夫。

残暑見舞いを兼ねてハガキが来ました。とても嬉しかったです。

 

その後すっかり、連絡を取ることもなくなり、そうこうしているうちに、ついにシン・アヴァンゲリオンの完結編の映画が上映されました。3作目のQを見たのは大学生の時だったので、あれから9年以上時が経っていました。工場長がエヴァンゲリオンと繋げてくれてからもう9年経ったということです。

有給を使って公開して間もない木曜日の朝一番の「シン・エヴァンゲリオン」の完結編を観に行ったときに、久しぶりに連絡を取ってみることにしました。

「私をエヴァンゲリオンに出会わせてくれてありがとう」

きちんと返信が来ました。

エヴァを愛してくれてありがとう」

本当に良い人だな、と思いました。

その返信で自分の中でエヴァンゲリオンが完結したのでした。

 

2013年5月 高知県|高知で一番好きな町・中土佐町

こんにちは。

 

今週に入り、一気にお腹が目立ってきました。

今まで周りの人にはわからなかったのですが、いきなりお腹出てきたね!と声をかけられるくらい。こんなに突然出てくるものなのですね。

いきなりお腹が出てきたということは、いきなり今まで入っていた寝巻き用のスウェットも仕事用のウエストゴムのズボンもしんどくなってきました。

さらにいえば、ここ8年ほど冬にお世話になっているウールのコートもお腹周りのボタンが閉まらなくなりました。きっとダウンも入らない。

このまま大きくなると真冬は一体何を着るの?と疑問です。

マタニティーマークはいつつけよう。

 

妊娠中に大好きな生魚が食べられないというのことに耐えられるだろうか、と思っていましたが、胃の調子が絶好調ではないからか、あんまりお刺身を食べたいという気持ちにならないのでなんとかなりそう。

大洗のあんこう祭りのニュースを見ていると、あんこう鍋が食べた〜とは思いましたが、あん肝があんまりよくないらしくてここは我慢をしよう。

むしろ半生のお肉や生卵、半熟卵が食べられない方がきつくて、妊娠前には想像していなかったことです。クリスマスのディナーもステーキやローストビーフが食べられない。どうするクリスマス!!

 

昨日は少し歩いて一度だけ前に行ったことがあるイタリアンのお店にパスタを食べに行きました。茄子とトマトのパスタ、となんとなく思っていたら、今日のランチはツナと根菜の和風パスタだったのでお口が少し残念な気持ちになりました。それでも食べ始めると美味しいのでなんとも都合のいいベロです。

デザートに洋梨のタルトもつけて、美味しい紅茶をいただきながら食べました。ノリタケの可愛いティーセットに、ミルクはコーヒーミルクではなくて、ミルクピッチャーに牛乳が入れられて出てきたのでとても嬉しかったです。

 

2013年5月 土佐久礼

住んでいた高知県で、友達と少し遠出をすることにしました。

車は持っていないので電車で住んでいた高知市内からガタンゴトンと汽車に乗り、土佐久礼へ。高知県で一番好きな町、中土佐町です。

 

穏やかな漁村とその漁村の恵みをふんだんに食べられる大正市場、双子の島、海を見下ろす黒潮本陣。時間の流れがとても穏やかに正常で初めて行ったこの時から、高知県で一番好きな街となりました。

 

こじんまりとした一本道の大正市場は地元の人のための市場という感じで、高知市内の有名なひろめ市場では食べられない鮮度のいい鰹や朝採れのお魚がもりもりと食べられます。お刺身もやっぱりこれだけ鮮度がいいと味や食感も違います。(観光客向けのひろめ市場もTHE高知の活気という感じがして好きなんですがね。お昼からお酒飲んでる感じとか)

季節によっては、足が早くて出回らないメジカの新子もいただけます。とっても美味しいんだなこれが。

 

大正市場でお惣菜とお刺身を買って、海を見ながら松の木陰にあるベンチで食べました。

お刺身の入っているパックの5月の心地よい潮風を浴びながら食べるご飯の美味しいこと美味しいこと!

中で一番感動したのが、ひじきの天ぷらです!!!

魚じゃないんかい という感じなのですが、本当に美味しい。大正市場に行くたびに探して食べています。何回食べても美味しいのですが、最初に食べた時ほどの衝撃を味わえないのが少し残念。

 

 

潮の音、トンビの鳴き声を聞きながらご飯を食べた後は、レンタルサイクルで周辺を散策しました。鬼の伝説がある双子島まで行ったり、中土佐の海を眺めながらケーキをいただける風工房というお菓子屋さんでいちごのケーキを食べ、自転車で悲鳴をあげながら坂を登って、日帰り温泉のある黒潮本陣に行きました。(思い返すと、自転車好きだな)

海水の露天風呂があるお風呂に立ち寄って、ひとっぷろ浴びた後に少し陽の傾いた中土佐町の街並みを眺めてのんびり過ごしました。

 

憧れのお宿、黒潮本陣。

大人になったら(十分大人の年齢ではあったけれど)いつかここに泊まりたい。帰りの汽車の時間を気にしなくていい。陽が沈むまでここで過ごして夜はここの鰹料理を食べて満喫するんだ。絶対泊まりに来るんだと心に決めたのでした。

この時の願いが成就するのはそれから8年経った後のことでした。

 

 

素敵なところ、素敵な感性を教えてくれてありがとう。

 

連れてきてくれたカフェ巡りや雑貨屋さんが大好きなお友達です。

可愛いお店や素敵なところのリサーチ、季節ごとに変わるお部屋のディスプレイ。お部屋を素敵な空間にするということについて教えてくれた子です。イギリス・エッフェル塔・ボーダーコリー、その子の大好きなものにぎゅっと囲まれたお部屋は本当に衝撃的でした。

人生にはそういう楽しみ方があるんだ!

お部屋を快適にする。おしゃれにする。ということがどういうことかよくわかっていなかった頃で、それはそれはとってもびっくりしました。

北欧ではヒュッゲというらしいですね。

 

ヒュッゲな暮らしに憧れて

 

この子のようなお部屋に憧れていても、なんだかごちゃっとしてしまう。好きなものがぶれてしまって統一感を持たせられない、そして何より維持できない怠惰な自分が原因のように思います。

これからお家を子どものお世話ができるように作り替えなければならないので何度目かの断捨離です。

何度も引越しを繰り返すうちに断捨離を繰り返して少しずつ自分の好きなものが固まっていったし、社会に出てそれなりに色々な雑貨に手を出して失敗や成功体験を積んでこれたように思うのだけれど、さあ果たしてどうだろう。

 

今度こそ、ヒュッゲな暮らしに挑戦してみよう。

まずは捨てるところから。

2013年4月 香川県|那須与一 よっぴいて

こんにちは。

 

ようやく安定期。安定期というのは医学用語ではありません、と助産師さんには言われましたが、妊娠中期に入ったということで安心感があります。

そろそろ耳が聞こえるんだとか。たくさん話しかけてみよう。元気ですか?

 

いい日和だったので朝ごはんを食べにいつものベーグル屋さんまで行ってみたものの、いっぱいで入れず、びっくりしました。元々人気店ではありますが、お持ち帰りの人が多かったので座るのに困ったことはなかったのです。何かで紹介されちゃったのかしら。

そんなわけで、今から家に帰るのもなんだか勿体無い気がしたので、お腹が空いた状態でウロウロと普段行かない道まで歩いてみました。

 

ちょっと歩いたことがない坂道をあがってみよう。

坂の上にあったのは小さな喫茶店でした。入ってみると、おばあちゃまが一人で切り盛りをされておりました。おばあちゃまと、常連と思われる初老の男性が和気藹々とお話をされておりました。

 

ミックスサンドを頼むのと、コーヒー付きになっていたのでコーヒーから紅茶に変えていただきました。

「コーヒーはまるっきり飲めないの?」とマダムに聞かれたので「実は妊娠してまして」というと、ま〜〜〜あ〜〜〜とほっぺに手を当てて「何ヶ月なの」「子どもは可愛いからねえ〜、ずっと可愛いからね〜」とウキウキしながら台所に戻っていき、「注文なんだっけ?」と再確認がありました。

 

マダムは3人の子供を育て上げたようで、自分の子育てを振り返っておりました。「子供は大変だけど、孫はまた違うからね。孫は可愛いばっかりだけど、子供はそれだけじゃないからね」と話しながら、ゆで卵を卵を切ることに特化したキッチン用品で切り、マヨネーズと混ぜ混ぜ。ハムを乗せてレタスを乗せて、スライスしたトマトも乗せて、出来上がった3種類のサンドウィッチを重ねて、ヨイショヨイショと丁寧に耳を切って、白の綺麗なお皿に並べて出してくれました。

その手つきの可愛らしさといったら…。

出来上がったサンドウィッチとノリタケの可愛いティーカップで紅茶とミルクも運んでくれました。お店の中には銅板の絵や窓際に並んでいる花瓶たちに綺麗にいけられたお花があって、このお店の中全体がマダムの生き様というのかセンスが光っているようでした。本当に可愛らしいマダムです。ボケ防止で喫茶店をやっているのだそうです。元気長生きの秘訣とよく笑う方でございました。

 

2023年4月 香川県

香川県高松市出身の父と屋島に行きました。

源平合戦の地、屋島です。

祖母にご挨拶をしに高松にきたあと時間があったので出かけることになったような気がします。

中学生高校生にもなると父と出かけることもなくなっていたので、大学に進学後には一人暮らしだったのであまり顔も合わせることもなかったので、父と改めておでかけをするのが久しぶりでなんだか恥ずかしかったような薄い記憶。

 

屋島の戦いといえば、那須与一が海の上に浮かぶ扇を射たことで有名です。高松の方はこのエピソードが好きなのか、マンホールも那須与一です。

屋島から高松市内を眺め、瀬戸内海を眺め、平家物語にしばしの想いを馳せて、うどんを食べて帰りました。

映画 世界の中心で愛を叫ぶのロケ地巡りもした気がするのですが、写真がないので別の機会だったのかも。

 

作画がこぼちゃんっぽい与一の壁画

 

2013年3月 岡山県|後楽園・倉敷 チャリで来た

こんにちは。

 

朝から「ボクらの時代」を見て、なんか今日は1日頑張ろうと思えたので、異様に汚かったレンジのお皿を洗い、欠けていたお皿を簡単金継ぎをして、近所のパン屋さんに朝ごはんを買いに行きました。

これはもう優勝の1日です。

ありがとう、大久保さん、光浦さん、いとうあさこさん。

 

iPhoneに眠る昔の写真を見ていたら、岡山県に行ったときの写真が出てきました。

懐かしい。

 

2013年 3月 岡山県

広島を出て、高知県に住んでいた私は広島の旧友と岡山で遊ぶことにしました。

どういう流れでそうなったのか全く覚えていないのですが、広島→岡山と高知→岡山はナイスな判断のように思います。

 

あの頃はfacebook全盛期だったので、大学生はほとんどやっておりました。

SNSのおかげもあって、中学の卒業からあまり頻繁に会うことがなくバラバラになった友達とも気軽に連絡をとり、近況を把握して、細く繋がっていられたのは本当に良かったと思います。ありがとうSNS。問題も多いけれどうまく付き合っていきたいSNS

中学時代は本当に毎日一緒にいたような間柄なのに、卒業してしまえば次第に疎遠になるので諸行無常の響きありと思うのでした。

 

すっかり過疎になったfacebookに細々と旅行記を更新し続けているのですが今では青春の大学生活から現代に至るまでの旅行記の蓄積なのでどうか今ままサービスを提供し続けてほしいと祈っています。

 

 

2013年3月に、友達と久しぶりの再会で岡山旅行に行きました。

多分日帰りだったんじゃないかな。

後楽園、岡山城と見て、岡山駅から倉敷まで何故かレンタルのママチャリで行きました。

距離感をわかっていないのにお互いにお金がなく、そのくせ体力に漫然とした自信を持った脳筋の大学生らしい選択だと思います。今でも思う、電車で行けば良かったのに。

 

電車の路線図を見て3駅くらいなら行けると勝手に思ったのだと思います。

(地元の駅の距離感を想像していたのだと思われる)

きちんと調べてみると、17キロありました。日帰りで帰りの高速バスの時間も限られているのに、どうして自転車だったのか本当に不思議で仕方がない。電車で行けば、16分なのに。

 

ひたすらに電車沿いを自転車で漕いで、特に途中で何かに立ち寄ることもなく必死に自転車を漕ぎました。田んぼに囲まれた道、お互いに心の中で(あれ、遠くない??)と思いながらも決してそれは口にしてはいけない。

とにかく必死に漕いで1時間半くらいかけて倉敷まで辿り着きました。

 

美観地区を見てまわり、行きたかったエル・グレコの絵が飾ってある大原美術館は休館日でカフェも営業していなかったです。美観地区を優雅に泳ぐ白鳥を見たような記憶がありますが、写真もないので捏造かもしれません。

「倉敷といえばデニムでしょう!」とデニム屋さんに行って、値札を見て撃沈してお店を出ました。倉敷までの電車賃を渋るようなものがそもそも倉敷のデニムと価格感が合うわけがないのです。

 

倉敷のアウトレットで何か買い物をするわけでもなく、プリクラで当時流行っていた『チャリできた』のポーズを真似して撮りました。間違いなく私たちはチャリで来たのだから。

そしてチャリで来たということは、チャリで帰らなければならないということです。

 

帰り道も同じく電車沿いの道をひたすらに漕いで岡山駅まで戻りました。

文字起こしをすると散々な旅行のように思いますが、特に喧嘩をすることもなく、「そうだ、岡山行こう」と京都をパクったコラージュまで作ってゲラゲラ笑っていました。

体力があったし、お金をかけなくても楽しめたのです。

天気に恵まれていたことは本当に幸いでした。

 

そんな彼女とは3年に一度くらいの頻度でなんだかんだ会っています。

これからもそうでありたいと思いつつ、会うたびに少しずつズレていく価値観を抱えていつまでこうして会えるんだろうともお互いに感じているようにも思います。

 

もう倉敷まで自転車では行けないけれど、のんびりと美観地区を散策して、倉敷のデニムを買いましょう。今度こそエル・グレコを見てアイビーに覆われたカフェでミルクセーキを飲みましょう。

 

アニサキスかと思ったら新しい命だった

こんにちは。

今日の食彩の王国で栗特集をしていたのを見て、栗のベーグルが売っていたらいいなと思いながら行ったベーグル屋さんで無事に栗のベーグルをゲットして朝から大優勝でした。

ヒャッホーウ!

 

秋だ!秋刀魚だ!という日記を書いてから早1ヶ月。

全然日記を書く習慣ができていないことにがっかりしつつ、ようやく秋らしい気候になったことをポジティブに喜びたい。まだ蚊はいるけれど、金木犀が咲いていて、まさしく秋である。

 

あの秋刀魚の後、どうも体の調子が悪く、どうしたんだろうどうしたんだろうと思ったら新しい命を授かっていました。

もちろん望んでいたことでとっても嬉しいやら、それでも具合が悪いやらで嵐のように(休日はほとんど寝て過ごしコウノトリを読み)過ぎ去った1ヶ月でした。

 

先日は妊婦健診でついにぴょこぴょこと動いているところを見れました。

最初は豆粒のようだったのに、今ではドラえもんのような等身でありながら、きちんと赤ちゃんの形をしていて人間の成長に驚くばかりです。

検診で見る位置が思ったよりもおへその下で、お腹が出てきたと思ってヨシヨシとしていた位置とは違っていました。私は一体何を撫でていたんだろう。

(そこは腸ですかね by助産師さん) 

そうですか、腸ですか。

 

そんなこんなで日々の体の変化と眠気に翻弄されながら、

せっかくならばiPhoneに溜まった写真と人生の整理を兼ねて振り返りの日記でもつけていこうかなと思い至りました。やたらと移動をしてきた人生だったように思うので、薄ぼらけて美化された記憶を綴っていくのもなかなか良いのではないかと、心地の良い秋空の下で思ったのでした。

 

まずは文字にする習慣を作らないとね、というところですが何事も最初の1歩から!

千里の道の一歩目をいざ。



 

 

 

秋刀魚だ! 〜秋始まりました〜

こんにちは。

今年初めての秋刀魚を食べました。

 

2024年は豊作のようですね。まだ長月の始まりだというのに秋刀魚がスーパーに並んでいてウッヒョ〜と買いました。

秋刀魚を買うということは、大根も必要ですね。

大根おろしにするのは根元がいいのか先っぽがいいのかいつも迷いますが、今回は悩んで根元にしました。正解はどっちなのか。

 

秋刀魚を焼いている間に大根をすりおろしてすりおろして。多いかなと思うくらい大根おろしを用意しました。

今はプラスチックのおろしを使っているのだけれど、金属のおろしがねの方が美味しくなると母が言っていました。

どこかのタイミングでゲットしたいと思って8年くらい経っています。時の流れよ。

そんなこんなでいただく前からウキウキをもたらしてくれた秋刀魚を小躍しながら焼いて、大根おろしを用意して秋刀魚の日を迎えました。

山田家では今日から秋の始まりとしたいと思います。

 

 

秋刀魚を大方食べ終わった後、夫の秋刀魚からアニサキスが見つかりました。

火を通してよかった〜。

エビと日傘

こんにちは。

 

今日は映画館にルックバッグを見に行きました。

映画の前にパン屋さんで買ったパンを食べて、

映画の後は成城石井で買ったお昼ご飯を家で食べました。

 

桜エビのビーフンを食べながら、

そういえば今朝は茹でたエビとアボカドのサンドイッチだった。

エビが4つ並んでいた。今は小さなエビがたくさん入ったビーフンを食べている。

今日だけで一体何匹のエビを食べたんだろう。

 

そんなことを考えながらお昼寝をしました。

 

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ようやく日傘を買いました!

内側は黒、外側は白がいいと会社の人に教えてもらっていたので、

心の中でぶつぶつと呪文のように唱えていると、同じく傘を買いに来ていた女の子たちが

お友達に同じようなことを言っていました。

(令和の一般常識なんだろうか?)

 

「内側は黒、外側は白がいいよ。アスファルトからの照り返しを避けるのに黒がいいんだってさ」

 

なるほど。

同僚と女の子たちのおかげでようやく日傘デビューです。

 

最強の日傘 6,000円